元バレーボール女子全日本代表でパイオニアレッドウィングスでも活躍した斎藤真由美さんが、10月1日付けで天童市教育委員に就任することが決まりました。
斎藤真由美さんは、5人いる教育委員のうちの1人として教育委員会のメンバーになり、「学校教育の振興」「生涯学習・社会教育の振興」「芸術文化の振興、文化財の保護」「スポーツの振興」など教育行政における重要事項や基本方針を決定する仕事を担当します。
天童市議会は30日に開いた本会議で、任期満了に伴い市教育委員会委員に、元バレーボール女子全日本代表の斎藤(本名・阿部)真由美さん(42歳)=天童市乱川=を新任することに同意した。就任は10月1日で、任期は4年。
斎藤さんは全日本代表に加え、バレーボールプレミアリーグ女子・パイオニアレッドウィングス(天童市)でエースアタッカーとして活躍してリーグ優勝などに貢献、2004年に現役を引退した。
「学校、教育委員会、保護者は同じ目線で子どもに向き合っているだろうか」。元バレーボール女子全日本代表のエースアタッカーは、信頼関係を何よりも大切にしてきた。「目標を追い掛け、伸び伸びと成長できる環境づくりに自分の経験が生かせれば」と、爽やかな笑顔で決意を語る。
度重なるけが、交通事故、チームの廃部と、選手時代は想像を超える困難と闘った。現役最後の2003〜04年シーズン、プレミアリーグ女子・パイオニアレッドウィングスの初優勝を支え、県民に歓喜をもたらした。人選の理由について、山本信治天童市長は「苦難を乗り越え、栄光をつかんだ経験を子どもたちに伝えてほしい」。
15歳でイトーヨーカ堂に入社。華々しく日本バレー界に登場したが、その影に高校を辞める決断が合った。「『スポ根』が全盛の時代で、指導者にたたかれるのは当たり前。楽しいはずのプレーが楽しくなくなった」と、中退の理由を明かす。体罰問題に対する意見はたくさん持つ。
母親が米沢市出身で本県に縁はあったが、現役時代から「天童で子どもを育てたい」と願っていた。07年に東北パイオニアを退社し、専業主婦に。この年、1人息子(6歳)を授かった。「子育てする母親としても教育に関心があった」
夫(46歳)は天童市内の小学校教諭。就任の打診に、「君にしかできないことをやればいい」と背中を押してくれた。選手時代から最大の理解者だ。
元トップアスリートは休日もアクティブで、家族で外遊びを楽しむ。「もうすぐテレビゲームをほしがるかしら」。母親の顔になった。東京都出身。天童市で夫、息子と3人暮らし。
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