時代 | 西暦 | おもなできごと | 日本のできごと |
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旧石器時代 | 紀元前 15,000年 |
はじめて人々が天童にあらわれる。 | |
縄文時代 | 紀元前 6,000年 |
田麦野(たむぎの)あたりに人々が住み始める。 | 狩りや猟の暮らしが営まれる |
紀元前 4,000年 |
上荒谷(かみあらや)に集落ができる。 | ||
紀元前 2,500年 |
山沿いの台地や水辺に、人々のムラができる。 | ||
紀元前 1000年~ 500年 |
石倉の宮田や矢野目の矢口に、大きなムラができる。 | ||
弥生時代 | 成生の地蔵池にこのころの村ができる。水田稲作がはじめて伝わってくる。 |
米つくりが始まる 卑弥呼(ひみこ)が邪馬台国(やまたいこく)をまとめる | |
古墳時代 | 300年 | 村山盆地の扇状地末端部の各地に米つくりの村ができる。 | 大和に国がうまれる |
400年 | いくつかの村がまとまって、小さなクニをつくる。 | ||
500年 | 清池(しょうげ)に首長を葬る上遠矢塚古墳などがつくられる。 | ||
高擶(たかだま)、蔵増(くらぞう)、成生(なりゅう)などに稲作をおこなう大きな村ができる。 | |||
飛鳥時代 | 願正壇(がんしょうだん)、沼田(ぬまた)、成生(なりゅう)などに大きな村が営まれる。 | 607年 / 聖徳太子(しょうとくたいし)によって法隆寺(ほうりゅうじ)が建てられる 645年 / 大化改新(たいかのかいしん)によって蘇我家が滅亡する |
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奈良時代 | 712年 | 出羽国を建てる。天童は最上郡に入る。 | 710年 / 奈良に都が移される 752年 / 東大寺の大仏が完成する |
775年 | 東北地方の各地で蝦夷(えぞ)の叛乱(はんらん)が起きる。その後、叛乱は38年間にわたって続く。 | ||
平安時代 | 860年 | 霊山寺(水晶山のことか?)が定額寺となる。 定額寺(じょうがくじ):古代の朝廷で一定数を限って保護した官寺。官稲などを賜った。官寺待遇の出願をしたものが多かったために制定。勧修寺・後醍寺のたぐい。 |
794年 / 京都に都が移される 1016年 / 藤原道長(ふじわらの・みちなが)が摂政となり、藤原氏が栄える |
864年 | 山寺を開いたと伝えられる慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)が没する。 | ||
886年 | 最上郡を2つに分けて、最上郡と村山郡とする。 | ||
鎌倉時代 | 1192年 | 貫津(ぬくづ)の昌林寺に懸仏が納められる。 |
1192年 / 源頼朝が鎌倉に幕府をつくる 1274年 / 元寇(げんこう) 1281年 / 元寇(げんこう) 1333年 / 鎌倉幕府が滅ぶ 1338年 / 足利尊氏が京都に幕府をつくる |
1263年 | 成生庄政所の藤原真綱らが若松寺(じゃくしょうじ)に銅製懸仏「聖観音懸仏」(しょうかんのんかけぼとけ)を奉納する。 #成生庄(なりゅうのしょう):天童市全域を領地とした皇室領の荘園(私有地)。 |
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1266年 | 清池(しょうげ)石仏に阿陀三尊が納められる | ||
1278年 | このころ、成生(なりゅう)に仏向寺、清池(しょうげ)に石仏寺、石倉(いしくら)に正法寺など時宗の寺院が建てられる | ||
(安土・桃山) 室町時代 |
1356年 | 斯波兼頼(はしば・かねより)が山形に入部する |
1573年 / 織田信長が室町幕府を滅ぼす 1590年 / 豊臣秀吉が全国を統一する |
1375年 | 斯波兼頼の孫である頼直(はしば・よりなお)が天童に入る。天童氏に改名し天童頼直を名乗る。 | ||
1527年 | 天童頼長が山寺を攻める | ||
1584年 |
天童頼久が最上義光によって攻められ、天童城が陥落する | ||
天童城陥落後、最上義光によって城跡に愛宕神社が建てられる |
(社)天童青年会議所 創立25周年記念誌「てんどう物語」 天童市役所 総務部 企画広報課 作成「天童市のあらまし」 |
から引用 |