いまから千数百年も昔のことです。春うららかなある日、舞鶴山(まいづるやま)の山頂で、行基(ぎょうぎ)という偉いお坊さんが念仏を唱えておりました。
ちょうどお昼を過ぎたころのことです。突然、山の上に、紫色の雲がたなびき、笛や太鼓の音色が聞こえてきたのです。そして、その美しい音楽とともに、天から2人の童子が舞い降りてきました。1人は護衛(ごえい)童子、もう1人は摩竭(まかつ)童子といいました。2人の童子は、驚いて呆然としている行基にこういったのです。
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「われは、自在天(じざいてん)[=仏]の使者にして、貴僧はこの山の大士(たいし)[=菩薩(ぼさつ)]なり、よろしく一宇(いちう)[=お堂]を建立し、一切衆生(いっさいしゅじょう)を念仏すべし。」
そういい終わると、どこへともなく去ってしまいました。このことを聞いた村人たちは、急いで山に登り、童子の行方をさがしましたが、だれ1人として見つけることはできませんでした。
その後、行基は、2人が降り立った霊峰を天童山と名付け、四方の里を天童と呼ぶようにしたのです。
それからずっと後のこと、行基の弟子の基限(きげん)という人が、2人の童子、すなわち少名彦那命(すくなひこなのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)をまつった天童殿(天童神社)を建立しました。天童とは、2人の童子を組み合わせて書くようになったといい伝えられています。