明治22年4月1日の市町村制の施行によって、山元村と貫津村が合併して誕生しました。文字どおり、山元村の「山」と貫津村の「津」を1文字ずつ採用した地名です。
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明治22年4月1日の市町村制の施行によって、山元村と貫津村が合併して誕生しました。文字どおり、山元村の「山」と貫津村の「津」を1文字ずつ採用した地名です。
貫津川沿いの山の方に上貫津(かみぬくつ)、平地の方に下貫津(しもぬくつ)が位置しています。下貫津ではぬるま湯が出るところがあるため、江戸時代の元禄年間(1688年〜1704年)以前には「温津(ぬくつ)」と記されていましたが、それ以後は現在の「貫津」と記されています。
明治6年2月20日に、それまでの「山家(やんべ)」から「山元」に改名しました。山家というのは南北朝時代(1336年〜1392年)の豪族で、山形市鈴川地区を兄の山家信彦系が、この地域を弟の山家師時が治めていました。このことから、このあたり一帯は「山家(やんべ)」もしくは「小山家(こやんべ)」と呼ばれてきました。
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