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寺津地区の地名 (最終更新:2001年2月20日)

寺津(てらづ)

 古くから重要な港として発展したところで、江戸時代の享保8年(1723年)以降は幕府の公認河岸(かし)として発展しました。紅花の貿易などの重要拠点として、天童だけではなく山形県の歴史に登場してきます。農村地帯でありながら港町や宿場町の姿ももっていた、ちょっと不思議な村だったようです。寺津地区は文字どおり「寺のある港」で、応永年間に現在の法体寺(ほうたいじ)が曹洞宗に改宗する前から古い寺があったとされています。

 「寺津」の語源には、次の2つがあります。
大木穐山(しゅうざん)翁の説
武士が占領しようとしても掌(て)に入れられず、「不掌入」(ていらず)から変化して「テラズ」になった

大木善太郎の説
宗教をもって民心を統一し、文化的役所を設ける豊かな港であるところから名付けられた

(関連ページ)
▼天童市南西部の地図
http://www.ikechang.com/map_d1.htm

藤内新田(とうないしんでん)

 寺津の北側に位置する地域です。天童氏家臣で鷹匠だった鈴木藤内(すずき・とうない)が室町時代の天正年間(1573年〜1592年)に開墾したのがはじまりです。当初は「新田村」と呼ばれていましたが、江戸時代の寛文年間(1661年〜1673年)以後の地図には「藤内新田村」と記述されています。


引用:「天童の地名考」
発行日:平成9年(1997年)3月31日
発行者:天童市立旧東村山郡役所資料館

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