古くから重要な港として発展したところで、江戸時代の享保8年(1723年)以降は幕府の公認河岸(かし)として発展しました。紅花の貿易などの重要拠点として、天童だけではなく山形県の歴史に登場してきます。農村地帯でありながら港町や宿場町の姿ももっていた、ちょっと不思議な村だったようです。寺津地区は文字どおり「寺のある港」で、応永年間に現在の法体寺(ほうたいじ)が曹洞宗に改宗する前から古い寺があったとされています。
「寺津」の語源には、次の2つがあります。
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- ▼天童市南西部の地図
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