干布村は、明治22年4月1日に上荻野戸村(かみおぎのとむら)、下荻野戸村(しもおぎのとむら)、原町村そして奈良沢村の4つの村が合併して成立しました。村の名前を決めるにあたっては、原町村、上荻野戸村、下荻野戸村が「三森村」と提案する一方、奈良沢村は「奈良沢村」と提案していました。そこで郡役所(現代でいうところの市役所)では慈覚大師(じかくだいし)の「布干し伝説」に基づいて干布村と決定しました。
慈覚大師(じかくだいし)は、山形県の観光地として有名な「山寺」の立石寺(りっしゃくじ)を開山したとされる方です。慈覚大師が立石寺を創建するときに、麻の栽培方法を教えて布織りの技術を広めたといわれており、ぬれた布を干したところが現在の干布地区であったとされています。これが「布干し伝説」です。
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