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高擶地区の地名 (最終更新:2001年2月7日)

高擶(たかだま)

 このあたり一帯は室町時代には「高楡」と書かれていましたが、江戸時代には「高擶」と記されるようになりました。このことから、吉田東伍(よしだ・とうご)博士は次のような説を唱えています。

吉田東伍(よしだ・とうご)博士の説
このあたりでは楡(ニレ)をタモやタマと呼んでいたことから、タカタマを「高楡」と記していた。それがいつのまにか誤って「高擶」と記されるようになり、現在まで続いている。

 このあたり一帯は立谷川(たちやがわ)扇状地の先端部に位置するため湿地が広がっており、ヤチタモと呼ばれる樹木が生い茂っていたため「高楡」とつけられたと考えられています。

(関連ページ)
▼天童市南西部の地図
http://www.ikechang.com/map_d1.htm
▼天童の地名の新説(天童のニュース:平成10年9月・第3週)
http://www.ikechang.com/1998/9809j3.htm#980918


引用:「天童の地名考」
発行日:平成9年(1997年)3月31日
発行者:天童市立旧東村山郡役所資料館

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