天童市の西部、蔵増(くらぞう)・高擶(たかだま)・寺津(てらづ)地区の大正時代の古地図が民家の物置から発見され、1月22日付けの地元紙・山形新聞で紹介されました。現在では、広々とした水田の向こうに月山、葉山を望むことができる水田地帯となっていますが、当時は養蚕業のための畑地がたくさんあったようです。
天童市蔵増、農業 市川隆太郎さん(62歳)方の物置から、93年前の天童市南西部の様子を伝える地図が見つかった。耕地整理を行う際の現形図と予定図で、当時の土地利用の実態だけでなく、住民の農業にかける思いまでもが伝わってくる。
見つかったのは「三郷堰耕地整理組合地区現形・予定図」。縦51センチ×横73センチで、現在の高擶地区(当時高擶村)、蔵増地区(同蔵増村)、寺津地区(同寺津村)の1920年(大正9年)ごろの土地利用の状況などを示した現形図と、耕地整理後の水田の区割りを示した予定図が記されてある。
地図は、畑地や宅地、原野、水路などを色別に紹介。1920年当時は養蚕を中心とする畑地が目立っていたが、その後の土地利用を示す予定図では、耕地整理で畑地の大半が開田され、地域の大部分が水田となることが示されている。
当時の事業の実施主体だった三郷堰土地改良区(当時は東村山郡三郷堰耕地整理組合)の佐藤功事務局長は「養蚕業から稲作への転換期で、当時の農業従事者の期待感などもにじみ出てくる」と解説する。このほか、揚水機の設置が終わった際に作られた完成記念絵はがき、新聞ふろくの日本地図なども見つかった。
三郷堰土地改良区では、全てをデジタル化した上で、原寸大に複写してパネル化。今後は事務所わきに隣接する三郷堰歴史資料館で、昔のポンプなどとともに展示することにしている。
「祖父の弟が県の耕地課に勤めていたので残っていたのではないか」と市川さん。三郷堰土地改良区の桜井政登理事長は「当時の地域の様子を知るだけでなく、先人たちの苦労や思いが詰まった貴重な資料。資料館に展示するだけでなく各種イベントにも活用する。3地区にある3つの小学校の児童を中心に広く子どもたちにも見てもらい、後世に伝えていきたい」と話していた。
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