時代 | 西暦 | おもなできごと | 日本のできごと |
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大正時代 | 1920年 (大正9) |
天童実科女学校(現:天童高校)がつくられる。 | 1914年 / 第1次世界大戦がおきる 1918年 / 米騒動がおこる 1922年 / 日本共産党が非合法のうちに結成される 1925年 / 普通選挙法公布 |
1925年 (大正14) |
農民運動がさかんになり、小作争議が激発する。 | ||
昭和時代 | 1930年 (昭和5) |
小田島事件が起きる。 |
1931年 / 満州事変がおきる 1937年 / 日中戦争がおきる 1941年 / アメリカとイギリスに宣戦布告して太平洋戦争がはじまる 1945年 / 広島、長崎に原爆が投下される 1945年 / ポツダム宣言をじゅだくし、戦争が終わる 1951年 / サンフランシスコで講和会議がおこなわれ、日本の独立が認められる 1960年 / 新安保条約に調印 1972年 / 沖縄が日本に復帰する 1972年 / 中国と国交を回復する |
1941年 (昭和16) |
市内の小中学校が国民学校になる。 | ||
1945年 (昭和20) |
山形空港のある神町(じんまち)が空襲を受ける。 | ||
1947年 (昭和22) |
国民学校が小学校になり、小学校6年間、中学校3年間、高校3年間の「6・3・3制」が実施される。 | ||
1954年 (昭和29) |
1町6ヶ村が合併し、新天童町が誕生する。 (昭和29年10月1日) |
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1958年 (昭和33) |
山形県で10番目に市制を施行する。 (昭和33年10月1日) |
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1962年 (昭和37) |
豊栄村(とよさかむら)が天童市に合併する。 (昭和37年10月20日) #豊栄村:現在の高擶(たかだま)、干布(ほしぬの)、荒谷(あらや) |
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1964年 (昭和39) |
全市が都市計画区域に指定され、ほ場整備事業が始められる。 (昭和39年3月9日) | ||
1967年 (昭和42) |
地方自治優良市として、自治大臣表彰を受ける。 (昭和42年11月17日) | ||
1968年 (昭和43) |
山形バイパス(新・国道13号)が全線開通。 (昭和43年12月18日) | ||
1969年 (昭和44) |
市内各地区にあった中学校を統合し、第一中学校、第二中学校が開校。 (昭和44年4月1日) | ||
1970年 (昭和45) |
(社)天童青年会議所が全国で466番目の青年会議所として設立される。 市内各地区にあった中学校を統合し、第三中学校が開校。 (昭和45年4月1日) | ||
1972年 (昭和47) |
市制施行15周年を迎える。 老野森(おいのもり)に現在の庁舎が完成。 (昭和47年9月30日) | ||
1974年 (昭和49) |
天童市市民憲章を制定。 (昭和49年10月1日) | ||
天童市市民歌を制定 (昭和49年12月1日) | |||
1976年 (昭和51) |
市の木(もみじ)、市の花(つつじ)、市の鳥(ホオジロ)が決定される。 (昭和51年5月1日) | ||
1977年 (昭和52) |
市の人口が50,000人を超える。 (昭和52年5月11日) | ||
地方自治30年記念で、天童市が自治大臣表彰を受ける。 (昭和52年10月6日) | |||
1983年 (昭和58) |
べにばな国体が開かれることになり、用地買収がおこなわれる。 | ||
1986年 (昭和61) |
広報誌「市報てんどう」が内閣総理大臣賞を受賞する。 (昭和61年10月21日) | ||
旧東村山郡役所資料館(きゅうひがしむらやま・ぐんやくしょ・しりょうかん)が開館。 (昭和61年11月1日) | |||
1987年 (昭和62) |
西沼田遺跡が国の史跡に指定される。 (昭和62年1月26日) | ||
1987年 (昭和63) |
市制施行30周年を迎える。 市内の各小学校でタイムカプセルを埋没。 舞鶴山に将棋の森を造成。 (昭和63年10月1日) |
(社)天童青年会議所 創立25周年記念誌「てんどう物語」 天童市役所 総務部 企画広報課 作成「天童市のあらまし」 |
から引用 |