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蔵増地区の地名 (最終更新:2001年2月7日)

蔵増(くらぞう)

 中世の戦国時代からある地名で、「倉増」と書かれている場合もあります。蔵増地区には「〇〇田」とつけられた小字名がたくさんあることから、昔から稲作が盛んであったと思われます。そのため「稲の倉」という意味から「蔵増」とつけられたのではないかと考えられています。

(関連ページ)
▼天童市北西部の地図
http://www.ikechang.com/map_u1.htm

窪野目(くぼのめ)

 天童市の西部、寒河江市(さがえし)との境界を流れる最上川の東側、天童から寒河江市に向かう道路の北側に位置する地域です。天童市内を東西に流れる倉津川(くらつがわ)と最上川の合流付近に位置することから、湿地帯で土地が窪んでいたことから名付けられたと考えられています。


高野辺(たかのべ)

 窪野目(くぼのめ)の西側に位置する地域です。明治中期までは高野村(たかのむら)と呼ばれていましたが、のちに高野辺に改称されました。高野辺の「高野」はもともと「荒野」という意味でつけられていましたが、いつのころからか「高野」と変わったようです。


塚野目(つかのめ)

 矢野目(やのめ)の南側、高擶(たかだま)地区に通じる道路沿いの地域です。元々は古墳があったともいわれている地域で、塚(=土が盛り上げられて小高くなったところ)があったことから名付けられたと考えられています。


矢野目(やのめ)

 天童市立第三中学校の西側一帯の地域です。「矢野」とは湿地帯を指す言葉、「目」は水辺や小高い所などの地点を指す言葉です。このあたり一帯は昔から農耕が営まれていたようで、西部の田園地帯には国指定の「西沼田遺跡(にしぬまた・いせき)」が発掘されています。


引用:「天童の地名考」
発行日:平成9年(1997年)3月31日
発行者:天童市立旧東村山郡役所資料館

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