画像:天童市の観光ガイド タイトル
将棋の7大タイトル戦

将棋あれこれ: 将棋駒屋マップ / 将棋Q&A / 左馬の由来 / 将棋の歴史 / 7大タイトル戦
駒職人の方々: 木地師 / 書き駒 / 彫り駒 / 彫り埋め駒 / 盛り上げ駒 / 東京駒 / 天童駒
将棋駒の種類: 原木 / 押し駒 / 書き駒 / 彫り駒 / 彫埋駒 / 盛上駒 / 将棋盤

名人戦(めいじんせん)

創設時期 昭和10年(1935年)
スポンサー 毎日新聞社
挑戦権 順位戦A級リーグ戦の優勝者

 「名人」という称号は世襲制で、普通の人は持つことができませんでした。それが、昭和10年(1935年)から実力制による名人戦が始まり、一般の人でも「名人」を獲得することができるようになりました。創設当初の主催は東京日日新聞(現:毎日新聞社)でしたが、その後朝日新聞社へと変わり、昭和51年(1976年)に再び毎日新聞へと変わりました。

 「名人」への挑戦権を獲得するには、まず全棋士参加の順位戦でA級まで上り詰めなければなりません。そして、A級に在籍する10名でのみ挑戦者決定戦がおこなわれます。「名人戦」はどちらかが4勝するまでおこなわれますが、「千日手」などでは指し直しとなるため、8局から9局も勝負を重ねることもあるそうです。

<永世名人の有資格者>
氏名 かな 称号 通算獲得
木村義雄 (きむら・よしお) 14世名人 8期
大山康晴 (おおやま・やすはる) 15世名人 18期
中原誠 (なかはら・まこと) 16世名人 15期
谷川浩司 (たにがわ・こうじ) 17世名人 5期
森内俊之 (もりうち・としゆき) 18世名人 5期
羽生善治 (はぶ・よしはる) 19世名人 5期
↑ ページの先頭へ移動 ↑

王将戦(おうしょうせん)

創設時期
昭和26年(1951年)
スポンサー
スポーツニッポン社
挑戦権
挑戦者決定リーグ戦の優勝者

 王将戦は、昭和26年(1951年)に名人戦を失った代わりとして毎日新聞社が創設しました。王将戦は第14期(昭和39年)まで「指し込み(3番手直り)」という独自ルールで対局がおこなわれていました。これは、どちらかが3つ負けると香落ちして(香車をはずして)対局を進めるというものでした。昭和51年に名人戦の主催が毎日新聞社に変わってからは、スポーツニッポン社が王将戦のスポンサーになりました。

 「王将」への挑戦権を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントがおこなわれます。そして、予選トーナメント上位4名と前期の挑戦者決定リーグ上位3名、合計7名が挑戦者決定リーグ戦をおこない、優勝者が「王将」への挑戦権を獲得します。「王将」のタイトルを通算して10期獲得すると「永世王将」の称号が与えられます。

↑ ページの先頭へ移動 ↑

竜王戦(りゅうおうせん)

創設時期
昭和63年(1988年)
スポンサー
読売新聞社
挑戦権
挑戦者決定リーグ戦の優勝者

 「竜王戦」は、読売新聞社が昭和63年(1988年)に創設しました。読売新聞社は、昭和25年(1950年)に九段戦(全日本将棋選手権戦)を設立しましたが、昭和36年(1961年)に発展解消して十段戦を創設、そして昭和63年(1988年)の「竜王戦」設立へとつながります。

 「竜王戦」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントがおこなわれます。予選は3次予選までおこなわれ、上位2名と前期挑戦者決定リーグ4名、合計6名で挑戦者決定リーグ戦をおこないます。挑戦者決定リーグは各々先手後手を代えておこなわれるため、合計10局の対局がおこなわれます。優勝賞金は3200万円です、どちらかが4勝するまで勝負がおこなわれます。

↑ ページの先頭へ移動 ↑

王位戦(おういせん)

創設時期
昭和35年(1960年)
スポンサー
北海道新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社・東京新聞社・神戸新聞社
挑戦権
紅白リーグ戦の各優勝者同士による挑戦者決定戦の勝者

 「王位戦」は、昭和35年(1960年)に北海道新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社という3社連合で創立されました。その後、3社連合に東京新聞社と神戸新聞社が加わって、現在では5社による共同開催となっています。

 「王位戦」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントがおこなわれます。予選は3次予選までおこなわれ、上位4名と前期の挑戦者決定リーグ戦で残留した4名、合計8名が紅白でリーグ戦をおこないます。そして、紅白リーグの各優勝者同士が挑戦者決定戦をおこないます。どちらかが4勝するまで勝負がおこなわれます。

↑ ページの先頭へ移動 ↑

棋聖戦(きせいせん)

創設時期
昭和37年(1962年)
スポンサー
産経新聞社
挑戦権
挑戦者決定トーナメントの優勝者

 「棋聖戦」は、昭和37年(1962年)に産経新聞社が創設しました。「棋聖戦」は1年に2回おこなわれる唯一のタイトル戦でしたが、1995年からは他のタイトル戦とおなじように1年に1回おこなわれるように変わりました。「棋聖戦」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントをおこないます。予選は2次予選までおこなわれ、上位8名と前期予選トーナメント上位8名、合計16名で挑戦者決定トーナメントをおこないます。持ち時間は各々5時間。どちらかが3勝するまで5番勝負でおこなわれます。

↑ ページの先頭へ移動 ↑

棋王戦(きおうせん)

創設時期
昭和49年(1974年)
スポンサー
共同通信社
挑戦権
30名による本戦トーナメントの優勝者

 「棋王戦」は、それまでおこなわれていた「日本最強者決定戦」と「古豪新鋭棋戦」の2つを統合して、昭和49年(1974年)に共同通信社が創設しました。「棋王」への挑戦者を決定するには、まず順位戦Bグループ以下での予選トーナメントをおこないます。その予選トーナメント上位8名、そして順位戦A級とB1級に在籍する全棋士、合計30名で本戦トーナメントをおこないます。ユニークな特徴として、本戦トーナメントでは敗者復活戦があります。決勝戦でどちらかが3勝するまで5番勝負でおこなわれます。持ち時間は各5時間。

↑ ページの先頭へ移動 ↑

王座戦(おうざせん)

創設時期
昭和28年(1953年)
スポンサー
日本経済新聞社
挑戦権
16名による挑戦者決定トーナメントの優勝者

 「王座戦」は、昭和28年(1953年)に日本経済新聞社が創設しました。しかしながら、日本将棋連盟の公認タイトル戦として認定されたのは第32回(昭和59年)になってからです。「王座」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントをおこないます。この予選トーナメントの上位8名と前期残留の8名、合計16名が本戦トーナメントをおこないます。先に3勝した方が「王座」を獲得しますが、3番勝負となったのは第18期(昭和45年)からです。持ち時間は各6時間。

↑ ページの先頭へ移動 ↑

これら7つのタイトルすべてを独占した棋士は、
羽生善治(はぶ・よしはる)棋士、ただ1人しかいません。
(参考文献)
「将棋狂に捧げる本」(昭和59年8月13日 初版発行)
著者:百々由紀夫(とど・ゆきお)
発行:大陸書房

「将棋文化史」(昭和55年12月5日 第1刷発行)
著者:山元亨介(やまもと・きょうすけ)
発行:筑摩書房
前のページへ「将棋の歴史」へ <7大タイトル戦> 駒職人「木地師」へ次のページへ

「天童市の観光ガイド」は個人が開設している天童市応援サイトです。リンクはご自由にどうぞ。
広告掲載など各種お問合せはWebサイトのご利用についてをご覧ください。

画像:バナー 画像:バナー 画像:バナー 画像:バナー 画像:バナー
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
このページに掲載されている文章や写真の無断転載を禁じます。
Copyright(C), 1997-2009 Tetsuya TAKAHASHI and "Ikechang"