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将棋の8大タイトル戦 (最終更新:2020年9月6日)

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名人戦(めいじんせん)

創設時期
昭和10年(1935年)
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毎日新聞社
挑戦権
順位戦A級リーグ戦の優勝者

 「名人」という称号は世襲制で、普通の人は持つことができませんでした。それが、昭和10年(1935年)から実力制による名人戦が始まり、一般の人でも「名人」を獲得することができるようになりました。創設当初の主催は東京日日新聞(現:毎日新聞社)でしたが、その後朝日新聞社へと変わり、昭和51年(1976年)に再び毎日新聞へと変わりました。

 「名人」への挑戦権を獲得するには、まず全棋士参加の順位戦でA級まで上り詰めなければなりません。そして、A級に在籍する10名でのみ挑戦者決定戦がおこなわれます。「名人戦」はどちらかが4勝するまでおこなわれますが、「千日手」などでは指し直しとなるため、8局から9局も勝負を重ねることもあるそうです。

<永世名人の有資格者>
氏名 かな 称号 通算獲得
木村義雄 (きむら・よしお) 14世名人 8期
大山康晴 (おおやま・やすはる) 15世名人 18期
中原誠 (なかはら・まこと) 16世名人 15期
谷川浩司 (たにがわ・こうじ) 17世名人 5期
森内俊之 (もりうち・としゆき) 18世名人 5期
羽生善治 (はぶ・よしはる) 19世名人 5期
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王将戦(おうしょうせん)

創設時期
昭和26年(1951年)
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スポーツニッポン社
挑戦権
挑戦者決定リーグ戦の優勝者

 王将戦は、昭和26年(1951年)に名人戦を失った代わりとして毎日新聞社が創設しました。王将戦は第14期(昭和39年)まで「指し込み(3番手直り)」という独自ルールで対局がおこなわれていました。これは、どちらかが3つ負けると香落ちして(香車をはずして)対局を進めるというものでした。昭和51年に名人戦の主催が毎日新聞社に変わってからは、スポーツニッポン社が王将戦のスポンサーになりました。

 「王将」への挑戦権を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントがおこなわれます。そして、予選トーナメント上位4名と前期の挑戦者決定リーグ上位3名、合計7名が挑戦者決定リーグ戦をおこない、優勝者が「王将」への挑戦権を獲得します。「王将」のタイトルを通算して10期獲得すると「永世王将」の称号が与えられます。

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竜王戦(りゅうおうせん)

創設時期
昭和63年(1988年)
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読売新聞社
挑戦権
挑戦者決定リーグ戦の優勝者

 「竜王戦」は、読売新聞社が昭和63年(1988年)に創設しました。読売新聞社は、昭和25年(1950年)に九段戦(全日本将棋選手権戦)を設立しましたが、昭和36年(1961年)に発展解消して十段戦を創設、そして昭和63年(1988年)の「竜王戦」設立へとつながります。

 「竜王戦」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントがおこなわれます。予選は3次予選までおこなわれ、上位2名と前期挑戦者決定リーグ4名、合計6名で挑戦者決定リーグ戦をおこないます。挑戦者決定リーグは各々先手後手を代えておこなわれるため、合計10局の対局がおこなわれます。優勝賞金は3200万円です、どちらかが4勝するまで勝負がおこなわれます。

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王位戦(おういせん)

創設時期
昭和35年(1960年)
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北海道新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社・東京新聞社・神戸新聞社
挑戦権
紅白リーグ戦の各優勝者同士による挑戦者決定戦の勝者

 「王位戦」は、昭和35年(1960年)に北海道新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社という3社連合で創立されました。その後、3社連合に東京新聞社と神戸新聞社が加わって、現在では5社による共同開催となっています。

 「王位戦」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントがおこなわれます。予選は3次予選までおこなわれ、上位4名と前期の挑戦者決定リーグ戦で残留した4名、合計8名が紅白でリーグ戦をおこないます。そして、紅白リーグの各優勝者同士が挑戦者決定戦をおこないます。どちらかが4勝するまで勝負がおこなわれます。

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棋聖戦(きせいせん)

創設時期
昭和37年(1962年)
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産経新聞社
挑戦権
挑戦者決定トーナメントの優勝者

 「棋聖戦」は、昭和37年(1962年)に産経新聞社が創設しました。「棋聖戦」は1年に2回おこなわれる唯一のタイトル戦でしたが、1995年からは他のタイトル戦とおなじように1年に1回おこなわれるように変わりました。「棋聖戦」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントをおこないます。予選は2次予選までおこなわれ、上位8名と前期予選トーナメント上位8名、合計16名で挑戦者決定トーナメントをおこないます。持ち時間は各々5時間。どちらかが3勝するまで5番勝負でおこなわれます。

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棋王戦(きおうせん)

創設時期
昭和49年(1974年)
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共同通信社
挑戦権
30名による本戦トーナメントの優勝者

 「棋王戦」は、それまでおこなわれていた「日本最強者決定戦」と「古豪新鋭棋戦」の2つを統合して、昭和49年(1974年)に共同通信社が創設しました。「棋王」への挑戦者を決定するには、まず順位戦Bグループ以下での予選トーナメントをおこないます。その予選トーナメント上位8名、そして順位戦A級とB1級に在籍する全棋士、合計30名で本戦トーナメントをおこないます。ユニークな特徴として、本戦トーナメントでは敗者復活戦があります。決勝戦でどちらかが3勝するまで5番勝負でおこなわれます。持ち時間は各5時間。

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王座戦(おうざせん)

創設時期
昭和28年(1953年)
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日本経済新聞社
挑戦権
16名による挑戦者決定トーナメントの優勝者

 「王座戦」は、昭和28年(1953年)に日本経済新聞社が創設しました。しかしながら、日本将棋連盟の公認タイトル戦として認定されたのは第32回(昭和59年)になってからです。「王座」への挑戦者を決定するには、まず全棋士参加の予選トーナメントをおこないます。この予選トーナメントの上位8名と前期残留の8名、合計16名が本戦トーナメントをおこないます。先に3勝した方が「王座」を獲得しますが、3番勝負となったのは第18期(昭和45年)からです。持ち時間は各6時間。

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(参考文献)
「将棋狂に捧げる本」(昭和59年8月13日 初版発行)
著者:百々由紀夫(とど・ゆきお)
発行:大陸書房

「将棋文化史」(昭和55年12月5日 第1刷発行)
著者:山元亨介(やまもと・きょうすけ)
発行:筑摩書房
近年創設された「叡王」を除く7つのタイトルすべてを独占した棋士は、
羽生善治(はぶ・よしはる)棋士、ただ1人しかいません。

叡王戦(えいおうせん)

創設時期
昭和28年(1953年)
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dwango
挑戦権
全棋士、女流棋士1名、アマチュア1名が段位別予選、本戦トーナメントを経て決勝進出者2名による挑戦権決定三番勝負で決定

 全現役プロ棋士に加え、主催者の推薦により決定する女流棋士1名およびアマチュア1名が出場。段位別予選と本戦を勝ち抜いた2名が決勝七番勝負を行い、先に4勝した棋士が「叡王」の称号を獲得(第4期以降は本戦優勝者が「叡王」への挑戦権を獲得)。

 段位別予選:各1時間 チェスクロック使用(秒読み60秒)
本戦:各3時間 チェスクロック使用(秒読み60秒)
決勝七番勝負:(A)持ち時間1時間 (B)持ち時間3時間 (C)持ち時間5時間 チェスクロック使用(秒読み60秒)

【第1局・第2局】
[1] 第1局の先手の棋士が持ち時間(A)(B)(C)の中から1つ選択し決定
【第3局・第4局】
[2] 第1局の後手の棋士が,覗択されなかった持ち時間のうち1つを選択し決定
【第5局・第6局】
[3] [1][2]で選択されなかった持ち時間に決定
【第7局】
持ち時間6時間
(公社)日本将棋連盟Webサイトより
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